ある闇掲示板(爆サイ)で話題になってることに対して...。


僕は──『専業』だ。

仙台泉の雨がネオンのように路地を切り裂く夜、奴らは画面の向こうで吠える。勝ち誇ったように年収を掲げ、他人を足蹴にして悦に入る。画面の前のイキリ男よ、お前は知らないだろう。数字の裏に残る疲労と、煙草の匂いを含んだ朝焼けの虚しさを。


お前が言うほど世の中は単純じゃない。大企業のロゴが安心を約束する時代は、もうとっくに崩れている。安泰(あんたい)の城のように見えたものは、実はガラスの箱だ。ひびが入れば、そこに群がるのはお前の言う「底辺」ではなく、システムの無残さを舌打ちする働き手たちだ。僕ら専業や軍団は、ただ勝ちを誇るために動いているわけじゃない。生き残るために、夜と朝をすり抜けているんだ。


「僕を喰おうとしたんだ…僕に喰われても仕方ないよね?」


これは喰う/喰われるの字面遊びじゃない。東京喰種の暗い詩のように、人は貪
(むさぼ)り合わずにはいられない場所で生きている。だが暴力と嘲笑(ちょうしょう)をネットに撒き散らすことで、何が変わる? お前はスクリーン越しに喰らいつき、満足しているつもりかもしれないが、それはただの演技だ。血は流れない。責任も取られない。虚像に酔う者には、現実の痛みが届かない。


僕はお前みたいなゴミを救うために拳を磨いているわけじゃない。救済の神父でも、慈善家でもない。僕が戦うのは身近な人のためだ。血縁でも友でもない、隣で黙々と働く者、朝の並びで黙って並んでいる連れ、妻や子に笑顔を返したい夜勤明けのあの人だ。彼らの未来を守るためなら、僕は泥にまみれてでも戦う。だが、ネットの片隅でのイキリ稼業に時間を割いて他人の尊厳を踏みにじる暇はない。


掲示板で吠え散らすのは簡単だ。匿名の仮面を被れば誰でも英雄になれる。だが真の戦場はそこじゃない。現実の釘、店のバランス、朝並びの空気、仲間との小さな合図──そうした細部を守ることが、僕らの美学だ。勝ち組だと自称するなら、まずは自分の言葉に責任を持て。人を煽る暇があるなら、現場で汗をかけ。


最後に言う。お前が僕を「専業」と嘲(あざけ)るなら構わない。名前を呼ぶことで、お前は僕の存在を認めたわけだ。だが忘れるな──認められた者は尊敬される義務を負う。僕は喰う側でも、喰われる側でもない。守る側だ。目に見えぬ誰かのためではなく、目の前の誰かのために、今日も暗闇で獲物を選び、光の届かぬ場所で歯を研ぐ。