5、仙台泉の専業パチプロたち
Vol. 5 — The Sun Sinks into a Velvet Sea
書き込みのほとんどは、怒りや正義を装っていても、根っこにはただひとつの欲求がある。
それは「誰かに認められたい」という渇望(かつぼう)だ。
匿名の海に漂いながら、彼らは目に見えぬ相手へ向けて叫ぶ。
その叫びが届くことはないと知りながらも、やめられない。
なぜなら、誰かが反応してくれた瞬間だけが、生きている証になるからだ。
彼らの文章には、矛盾と焦りがにじんでいる。
ある者は論理を武器にして他人を叩き、ある者は感情の波で罵倒を重ねる。
どちらも違うようでいて、根は同じ。
かつて誰にも聞いてもらえなかった声を、今こそ聞かせたいのだ。
正しさを証明することで、ようやく自分が「在る」と信じられる。
彼らの戦いは、世界との対話ではなく、自己との対話だ。
子供のころ、泣き叫べば親が来た。
だだをこねれば誰かが抱き上げてくれた。
その経験が彼の心に深く刻まれている。
大人になって、社会に出て、誰も構ってくれなくなったとき、
彼は再び子供のころの方法を思い出した。
声を荒げ、相手を挑発し、目立つことで注目を得ようとする。
叱ってくれる人も、慰めてくれる人もいない世界で、
彼は罵詈雑言という形でしか愛情を表現できなくなった。
画面の向こうにいる彼は、孤独だ。
昼間は仕事のふりをし、夜は匿名の仮面をかぶる。
社会のルールに従いながら、どこかでそのルールを憎んでいる。
誰よりも秩序を求めながら、秩序を壊す側にも回る。
彼の中には、光と闇が同居している。
プライドが高く、臆病で、優しく、そして壊れやすい。
君はなかなかの活字中毒らしいね。
ここまで読んだということは、きっと君の中にも同じ闇がある。
誰かの言葉に惹(ひ)かれ、誰かの怒りに共鳴し、
自分の痛みをどこかに重ねているのだろう。
「自称と侮辱に対してだけ反応する」と言う者がいた。
その言葉には、誇りを守ろうとする痛々しい防衛の匂いがある。
他人の批判に怯えながら、同時にそれを待ち望んでいる。
否定されることこそ、自分が誰かの意識に残った証だから。
彼にとって“罵られること”は、孤独よりもましな温もりだ。
やがて、言葉は意味を失い、リズムだけが残る。
画面に映る光は、彼の顔を蒼白に照らし、
その指先は習慣のようにキーボードを叩く。
真実も虚構も混ざり合い、境界は溶けていく。
彼は自分が何を書いているのか、もう分かっていない。
ただ、沈黙が怖い。
誰も反応しなくなったとき、自分という存在が消えてしまう気がする。
その恐怖を紛らわせるために、今日もまた書き込む。
嘘を重ね、誇張し、過去を脚色して、
ほんの一瞬でも「見られている」と感じたい。
ベルベットの海に沈む太陽のように、
静かに沈んでいく自分を、誰かに見届けてほしい。
それが彼の正体だ。
孤独を怒りで塗りつぶし、
無視される痛みを、他人を貶めることで誤魔化す。
だが、その奥底では、
誰よりも人間的な願いを抱いている。
「どうか、誰か。
俺を見つけてくれ」
その声なき声が、闇の掲示板の中で、
今日もまた小さく鳴り響いている。
喰うか喰われるかは君次第だ。
それはスロットの話でも、掲示板の話でもない。
この世界でまだ生き続けたいなら、
言葉に飲み込まれる前に、自分の心を守れ。
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