山形市の専業パチプロ日記
山形市で暮らす自分にとって、都会を感じさせる唯一の場所は、煌々としたネオンと電子音に包まれたパチンコ店だ。外に出れば蔵王おろしが吹き荒れ、冬の朝は肌を切るような冷たさ。春になれば霞城公園の桜が舞い散り、夏は山形大花火大会の余韻に浸る。そんな四季の移ろいの中でも、自分の中心には常にパチンコとパチスロがある。専業は危ういと誰もが言う。兼業の方が安全だ、と。だが、自分はどうしても専業でありたい。勝ち続けられる保証はないから、ときどきバイトにも入るけれど、根っこはやっぱり期待値稼働の世界に生きていたいのだ。
ホールでは勝ちもあれば負けもある。その揺れる心模様を、朝晩の山形の風景に重ねている。ラーメンばかり食べていると体に悪いのはわかっているのに、寒い夜にはどうしても熱々の一杯に救われる。ホールの店員には可愛い子が多く、目が合うだけで少し心が和む。演者が来店した日には、話しかけたりサインをもらいたい気持ちがあるのに、結局恥ずかしくて一歩踏み出せない。そんな自分はまだ20代。学歴もない男がどうやって成り上がれるのか。考えれば考えるほど不安は増えるが、それでもホールに立ち続けている。熟女の優しい笑顔が好きで、たまに常連の年上女性と世間話をすることが、小さな楽しみにもなっている。
将来は結婚をして、安定を得たいとも思う。だが今は、台に向かってボタンを押す時間の方が長い。天童市にでも引っ越そうかと考える夜もある。もっと人が集まる場所で、自分の立ち回りを磨きたい気持ちがある。同じ志を持つ人がいれば、ぜひコメントで語り合いたい。結局のところ、都会の光も大都市の喧騒も、この山形の田舎にはない。けれど、ホールの中にだけは未来に繋がる可能性が転がっている気がする。
そんな自分の等身大の日常を、今日もまたパチンコ台のランプと一緒に綴っていく。
昨日も霞城公園の横を通ってホールに向かった。桜の葉がすっかり落ち、裸になった木々が風に揺れていた。季節が進むたびに、勝ち負けに揺れる自分の心もどこか映し出されているように思える。朝イチで狙った台は据え置き濃厚、打ち込んでみれば伸びきらず、昼過ぎには撤退。そんな日でも帰り道に寄った食堂で出てきた温かい味噌汁に救われる。勝ち負けよりも、こうした小さな安らぎが生きる力になっているのかもしれない。
ホールに通う日々の中で、常連たちの存在も気になってくる。黙々と期待値を積む人、知り合い同士で連れ打ちする人、軍団のようにデータを駆使して動く人。それぞれが自分なりの戦場を持っている。自分はその中でまだ半人前だ。勝てる日もあるが、専業を名乗るには弱い。けれど、それでもパチンコ・スロットに人生を賭けたいと思うのは、ここにしか自分の居場所を見いだせないからだろう。
たまにホールの店員と目が合うと、心臓が跳ねる。笑顔が可愛い。会話をしてみたいけど勇気が出ない。演者の来店イベントでは、声をかけてサインを貰いたいのに、どうしても躊躇ってしまう。若さゆえの照れ臭さなのか、それとも自分に自信がないだけなのか。
家に帰ればひとり。将来は結婚して、普通の家庭を築きたいと考える夜もある。でも学歴もなく、安定した職もない自分には、その未来は遠い。天童市に引っ越せば環境も変わり、新しい道が開けるかもしれない。けれど、それでも今は、パチンコとパチスロのリールを回すことでしか日々を繋げない。
熟女の優しさに惹かれるのは、どこか母性にすがりたい気持ちがあるのかもしれない。勝ちに疲れ、負けに打ちのめされたとき、ふと常連の年上女性と交わす短い会話に救われる。そういう小さな繋がりが、自分を生かしているのだ。
結局、自分はまだ20代。夢を語るには早いのかもしれない。だが、勝ち負けの間にある「日常」こそが、実は一番大切なのかもしれないと思う。山形の街並みと共に過ごすパチプロの日々、その記録をこれからも書き残していきたい。
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