足利市の専業パチプロ日記


足利の街は、渡良瀬川がゆるやかに流れておってな、橋の上を渡る風が気持ちええんじゃ。夕方になると西日が川面に反射して、まるで黄金の帯のように輝く。その景色を見ながら、ワシは今日もホールへ向かう。昔からの習慣みたいなもんじゃ。若い頃は夢中で打っておったが、今じゃもう生活の一部になっとる。


足利のホールもだいぶ変わったもんじゃな。昔は「パチンコひばり」とか「ニュー丸善」とか、そんな看板が並んどった。今はもう無くなった店も多いが、あの頃の空気はまだ街のどこかに残っとる気がする。最近は「マルハン足利」「ダイナム」「メガガイア」あたりが主戦場じゃ。若いもんはスマスロだのL北斗だのに並んでおるが、ワシはやっぱりジャグラーと花火が落ち着く。GOGOランプがふっと光る瞬間、あれがたまらんのよ。


昔のスロットはよかった。4号機の時代は夢があった。爆裂機の連チャンに心臓がバクバクして、手が震えたもんじゃ。吉宗、番長、南国育ち……あの頃は設定なんか関係なしに「引けるかどうか」だった。今の台は数字で管理されすぎておる。確率も出玉率も計算どおり。だからこそ、ワシは逆に“人間味”のある台を打ちたいんじゃ。


ホールの中はいつも同じ顔ぶれだ。常連同士で軽く会釈するだけで、余計な会話はない。暗黙の了解ってやつじゃな。台移動のタイミング、ハイエナのルール、空気を読む。専業として長くやっとると、そういう勘だけは磨かれていく。若い専業や軍団もおるが、ワシは群れん。昔からひとりで動くのが性に合っておる。


勝つ日もあれば負ける日もある。勝った日は帰りに足利駅前の居酒屋で焼き鳥とビール。負けた日はコンビニの缶チューハイで静かに反省。けどな、不思議なもんで、どちらの日も悪くないんじゃ。ホールを出て、夜風にあたって、缶コーヒーを飲む。たったそれだけで、「今日もよう戦った」と思える。


最近は昔みたいに熱くなれん。けど、ホールの灯りを見ると、まだ心が動く。GOGOランプの一瞬の光、盤面を滑るリール、そしてコインの音。それがワシにとっての“生きてる証拠”なんじゃ。若いもんにはわからんかもしれんが、この生活には不思議な充足感がある。


足利の街は変わっていく。でも、渡良瀬川の流れと、ホールの音だけは昔のままじゃ。そんな毎日を、ワシはこれからもぼちぼちと綴っていこうと思っとる。


足利の街は、渡良瀬川の流れが静かでな。夕方の光に照らされた水面がきれいなんじゃ。そんな風景を見ながら、ワシは今日もホールへ向かう。昔の「パチンコひばり」や「ニュー丸善」はもうないが、あの頃の熱気はまだ街に残っとる。今は「マルハン足利」や「メガガイア」で打っとるが、ワシは若いもんみたいにスマスロには手を出さん。ジャグラーと花火、それが一番落ち着く。


GOGOランプが光る瞬間、今でも心臓が跳ねる。勝っても負けても、ホールを出て缶コーヒーを飲む時間が好きなんじゃ。「今日もよう戦った」と思える瞬間、それで十分じゃ。若い頃のような勢いはないが、この暮らしにはそれなりの味がある。渡良瀬川の流れのように、ワシの人生もゆっくりと続いていく。


時々、パチンコのリールを見つめながら思うんじゃ。世の中の流れも、この回転みたいなもんかもしれんな、と。止まることなく、回り続けて、誰かが仕組んだ枠の中で動かされている。戦後からの55年体制ってやつも、そういう見えないリールのひとつじゃった。保守と革新が形だけで争って、結局は同じ利権の中で回っていた。国が豊かになったようで、ほんとうに豊かだったのか。ワシら庶民の手の中に残ったのは、スロットのメダル数枚分の安心だけだった気がする。


いまの資本主義は、もう限界が見えとる。働いても働いても、税金と物価に吸い取られるばかり。ホールで千円札をどんどん飲み込むサンドを見てると、まるでこの社会の縮図のように思える。結局、金が金を呼ぶ者だけが勝ち残る仕組み。努力や誠実さは評価されにくい時代になった。若いもんには「夢を持て」と言われるけど、夢を見る余裕すらない現実がある。


じゃあ、この先はどうなるんじゃろうな。AIが進化して、シンギュラリティが来るだの、機械が人を超える時代になるだの、そんな話も聞く。でもワシは半信半疑じゃ。もしAIが人間の頭脳を超えたところで、人の欲や悲しみ、孤独までは理解できんだろう。ホールでGOGOランプが光って、胸が高鳴るあの瞬間――あれを機械が感じることはないはずじゃ。


イーロン・マスクなんかも、そういう未来を語る男のひとりじゃな。ロケットを飛ばし、AIを操り、脳にチップを埋めるとか言っとる。まるでSFの登場人物みたいだが、結局は金と権力の象徴にしか見えん。人類のためと言いながら、どこか不気味な支配の影を感じる。もしかしたら、もうこの世界は表向きの明るさの裏で、闇に包まれ始めてるのかもしれん。


でもな、ワシは思う。闇がどれだけ深くても、ホールの中の光だけは消えん。たとえ世界がAIに支配されようと、人間が最後に求めるのは「偶然」と「希望」なんじゃ。GOGOランプのように、一瞬でもいい、心を照らす光があれば、人はまだ生きていける。ワシはそう信じて、明日もまたホールへ向かうんじゃ。


栃木市の専業パチプロ日記

足利市 : パチンコとパチスロの換金率