渋谷の兼業スロプロたち
渋谷のスクランブル交差点は、深夜になっても途切れることのない光と人の奔流に包まれている。兼業であれ専業であれ、ここを通り過ぎるとき、彼らはただの群衆の一部だ。道玄坂の斜面に立ち並ぶビルのネオンは、酸性雨に濡れたように街を艶めかせ、コンビニ袋を片手にホール帰りの男が人混みに紛れる。兼業は会社員としての日常を持ちながらも、休日や仕事帰りにホールへ足を運ぶ二面性を抱えている。社会の枠組みにしがみつきながら勝負師を気取るその姿は、一見安定しているようで、内心には疲弊を滲ませる。対して専業は、すべてをパチンコ・スロットに賭け、数字と期待値だけを頼りに孤独を生き延びる。生存率は高くないが、彼らの目の奥には冷徹で確かな輝きが宿っている。
裏通りの居酒屋に入ると、論争はさらに熱を帯びていく。焼き鳥の煙、タバコの匂い、サワーのグラスに沈む氷の音。それらが混じり合う中で、兼業派は「安定と家庭を守りながら打てることが尊い」と語る。専業派は鼻で笑い、「安定は幻影にすぎない。自由と純度こそが勝負師の価値だ」と切り返す。論理の応酬ではなく、生き方そのものを巡る衝突だ。酔いの回ったサラリーマン風の男が「税金を納めてこそ立派だ」と叫び、対面の専業が「自由を売ってまで得る安定に意味はあるのか」と冷笑する。議論は平行線を辿りながらも、誰も引かない。居酒屋の隅に貼られた競馬新聞やパチンコ雑誌の切り抜きが、この街のもう一つの現実を物語っていた。
やがて店を出れば、渋谷のネオンが再び目の前に広がる。キャッチの声が飛び交い、風俗ビラが足元に舞い落ちる。どちらの生き方が正しいのか、街は答えを与えない。兼業も専業も、ただこの雑踏の中に生きているプレイヤーに過ぎない。尊いかどうかを決めるのは群衆の評価ではなく、最後に鳴り響くメダルの払い出し音だ。論争は終わらず、道玄坂の坂道のどこかで、また明日も続いていく。
――渋谷に生きる者は皆プレイヤーだ。結局はその一言に収束する。
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