泉の空気は、昼と夜で少し匂いが変わる。朝は期待の匂い、夜は敗北と安堵が入り混じったような、湿った匂いだ。


ホールの外に出ると、街灯の下でタバコを吸う男たちがいる。トラック運転手、夜勤明けのサラリーマン、個人事業主、そして無職の男。肩書きは違っても、皆どこか似ている。社会の隙間で、自分の運を試しながら生きている。


掲示板では、そんな彼らの言葉が夜通し飛び交う。


「学歴高い人はマルクス理解できる」「宮城は学歴主義」「劣等感で嘘つき連呼する」――そんな書き込みが並ぶ。


匿名の中で、学歴をひけらかす者もいる。けれど、その肩書きが本当かどうかを確かめる術はない。


この街では、匿名が名刺の代わりであり、嘘と本音の境界線は曖昧だ。


本当に賢い者は、そんなノイズに振り回されない。


偽情報に踊らされるか、冷静に見抜くか――その差こそが、プロとして生き残れるかどうかの資質になる。

深夜のスレッドには、勝ち負けの報告が連なる。


「8万勝ち」「15万勝ち」「マルハン楽勝」――誰も信じていない祝祭。


それでも皆、書き込みをやめない。


匿名の中で、自分の存在を確かめるために。
泉の掲示板は、もうひとつのホールだ。
ランプのようにコメントが光り、やがて消えていく。
その繰り返しの中で、誰もが少しずつ賭けている。
金でも台でもなく、たぶん、自分という存在そのものを。


勝つためには、結局のところ「期待値」しかない。
オカルトも願掛けも、長い目で見ればすべてノイズだ。
朝の抽選に外れても、台を間違えても、感情で動けば即座に沈む。
だからこそ、自分のルールを持つことが大事だ。


回転数、差枚、履歴、やめ時――それらを冷静に積み重ねる。
泉で生き残る者は、数字の裏にある流れを読む。


そして、掲示板に現れる“学歴主義者”のようなノイズには耳を貸さない。
どんな肩書きを並べても、結果がすべて。


期待値に徹し、己のルールに従って淡々と打つ――それが唯一、勝者の道なのだ。