とあるハイエナ批判に対する返答


「ハイエナはゴミだ」──そんな罵声がサイバーネット空間のノイズに混ざっている。だが、その言葉が真実だと決めつけるのは早計だ。彼らの主張には感情と自己正当化が絡み、論旨の根幹を欠いている。


ハイエナは店を徘徊して他人の残した期待値を“奪うだけ”だというが、それは語義のすり替えに過ぎない。ホールに落ちているチャンスを、合法的にものにしているのだ。誰かの不注意や判断の結果、残された「機会」を規則の範囲で回収する行為を、あたかも略奪呼ばわりするのは公平ではない。道に落ちた傘を拾うことを誰かの所有物の強奪だと糾弾するようなものだ。


「高潔さ」の有無を論じるのも同じだ。専業の設定狙いを「高潔」と掲げるのは一つの価値観に過ぎない。倫理的優位を主張して他のやり方を見下す行為は、結局は自分の選択を正当化するためのプロパガンダだ。確率と期待値が支配する世界で、手法の違いを「道徳」の名で抹消するのは欺瞞的だ。


また「ハイエナが店を壊す」「他人の財布を奪っている」「還元余力を潰す」といった主張は、根拠を欠いた感情的な断定に過ぎない。データを提示せず因果を結びつけるのは、都市のノイズに過ぎない。むしろ、拾い手がいることで回転が生まれ、短期的には数字が動くこともある。さらに、ハイエナ行為で豊かになれるという欲望が、多くの遊技者を呼び寄せる。それは稼働が上がるということであり、同時に多くの依存者を作り上げる。依存者は良くも悪くもホールに必要な存在であり、業界の存続に不可欠なのだ。


ネオンに照らされる都会の繁華街は、表と裏、光と影が同居する。設定狙いの専業も、裏を漂うハイエナも、同じシステムの内部で生き延びる存在だ。どちらかが「正義」で他方が「悪」という単純化は、街の複雑さを見落としている。真の害悪は、他者を一方的に断罪する思考停止の方だろう。


だから言おう。ハイエナを一括りに「ゴミ」と断じるのは短絡的で、不毛だ。拾う者がいて初めて街は回る。サイバーパンクの都市は矛盾を内包して光る。矛盾ごと抱えて前へ進むのが、この都市に生きる者の生き方でもあるのだ。