専業という幻想 ― ネオンの街で見た真実


結論から言えば、専業パチプロはおすすめできない。


なぜなら、その日常はメビウスの輪のように同じ景色を繰り返し、心をすり減らすからだ。期待値を追い続けても、爆裂スマスロの荒波に呑まれ、精神は必ず下振れする。特化ゾーンやフリーズに救われる日もあるが、むしろ「俺は何をしているのだろう」という問いが、酸性雨のように心を蝕む。


さらに彼らに向けられるのは嫉妬の刃だ。稼げば「税金払え」と罵られ、負ければ「ザマァ」と嗤われる。サイバー掲示板には誹謗中傷があふれ、専業の存在は常に槍玉にあげられる。社会のシステムの外側に存在するがゆえに、専業は監視のレーザーサイトを浴びる存在となる。


実際、専業は多いかもしれない。しかしその一人ひとりの収入は激減し、出禁の恐怖と隣り合わせで打つことになる。ホールを歩くときも、次第にフードを深く被り、サングラスをかけるようになる。気楽そうに見えて、案外その生活は息苦しい。


専業から脱落する理由は数多い。感情的に台を追う者、環境を食い潰して出禁になる者、金銭感覚が狂い破綻する者、そして「自分は有能だ」と勘違いする者。どれもサイバーパンク的都市のカオスに飲まれ、淘汰されていく。


それでも専業は増え続ける。店は減り続け、優良店に人が集中し、軍団とピン専業がデータ争奪戦を繰り広げる。ネオンと監視カメラに覆われたホールは、今や戦場というよりサーバールームだ。


兼業こそが最適解という意見もある。仕事という安定システムを持ち、パチスロというカオスにアクセスすることでバランスを保てる、という理屈だ。しかし、それでも不安が消えるわけではない。二つもやっていけるほど、人は器用なのか。むしろ兼業でいながら専業を妬む側に回り、暗黒の感情に沈む可能性もある。それは澱んだ空の下、繁華街の裏側に潜む影と同じだ。


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