掲示板の夜にひかるネオン


吉本バカナの爆サイ観察エッセイ

爆サイ参照期間:2009年9月4日〜9月23日


掲示板って、どうしてあんなに「自演」って言葉で埋め尽くされちゃうんだろう。
スレ主の超一流プロさんも、最初は「質問なんでも答えます🖐」なんて軽やかに登場したのに、あっという間に「自演乙」の嵐に巻き込まれてしまった。


本当は「イベント次第で台を選んでる」とか、ちょっと役立つことも言ってるんだけど、まわりはすぐ「それも自演」って。まるで森の中でエコーが返ってくるみたいに、同じ言葉が響きわたる。


でも、そのやりとりを読んでいると、不思議と退屈しないんだよね。


「病院行け」「お迎え来てますよ🚙🏥」なんてツッコミも、ブラックユーモアみたいでちょっと笑っちゃう。真剣に「なぜ厳しい世界でプロを選んだのですか?」と聞く人もいれば、「オフ会呼んでください」と小さく手を挙げる人もいる。でも、すぐ「それも自演でしょ」って切り捨てられちゃうの。ちょっと切ない。


吉本バナナの小説みたいに、軽くて不思議なトーンで言うなら——
人の声が入り乱れる掲示板は、まるで夏の夜に光る蛍の群れみたい。ひとつひとつの光が誰のものなのか分からなくても、ただ眺めているだけで、どこか心がザワザワして、ちょっとだけ楽しくなる。


超一流プロさんが本当に勝っていたのか、それともキャラを演じていただけなのかは、たぶん永遠にわからない。けど、彼がいたことで、スレッドに少しの熱気と、少しの笑いと、少しのイライラが生まれたのは確か。


そして私は思うの。


「自演かどうかなんて、もしかしたらどうでもいいんじゃない?」って。


大事なのは、その瞬間に一緒にわいわいできたかどうか。


次回は、超一流プロさんが語った「イベント狙い」の価値観を、もう少しポップに拾ってみたい。つづく——。



自演とジグマと、2009年の空気

爆サイ参照期間:2009年9月23日〜9月26日

掲示板のやりとりを読み返していると、超一流プロさんの口から「ジグマ」という単語がぽろりと出てくる。


「スロのジグマ貧乏プロで、やめたのは沢山見たし、飽きた🖐
アドバイスしてやると、パチ、スロ両方で良いとこ取りしないと本物にはなれないよ🖐
大変でも範囲も広くな🖐」
(2009/09/25 23:45 超一流プロ)


ジグマ。

今ではもうあまり耳にしなくなった言葉。特定の店に張りついて、店のクセを見抜き、地元密着で稼ぐスタイル。

2000年代までは「地回りのプロ」として、それなりに成立していたやり方だった。でも、この書き込みにあるように、2009年の時点でもう「貧乏プロ」って言われてる。移動せず、変化に対応できない人たちが、ゆっくりと沈んでいく。


当時のパチンコ業界は、ちょうど大きな転換期にいた。

CR機の演出は派手になっていたけど、出玉規制は少しずつ進んで、勝ち方も複雑になっていた。イベントに命を懸けて回るプロと、特定店舗に居座るジグマ派。そのあいだで「どちらが正しい生き方か」なんて議論もあったけど、結局は「動いた者が残る」時代だったのだと思う。


私自身も、この頃はまだふらふらと遊技する立場だった。

土曜日の午後、友人とホールに入ると、台の上にカラフルな札が差してあって、「今日は熱いんじゃないか」と根拠もなく胸を高鳴らせた。隣でドル箱を積み上げる常連のお兄さんを見て、「あれがジグマってやつかな」なんて思ったりして。


今振り返ると、そこにはまだ「勝ち負け」以上の時間があった。
負けても、帰り道に牛丼屋で笑いながら話せば、不思議と心は軽くなった。
掲示板での罵り合いや「自演乙」の応酬も、その時代の熱を映す鏡のようで。


超一流プロさんが言うように、
「良いところ取りじゃなきゃ、一流になれん」
というのは、実はパチンコやスロットに限らず、人生そのものにも通じるんじゃないか。
ひとつの場所に縛られず、でも大切な居場所は持って。動きながら、選びながら、生きていく。


あの2009年のざわめきは、いまも私の胸の奥で、煙草の煙みたいにゆらゆらと残っている。


つづく——。



牛丼と神戸亭のあいだで

参照期間:2009年10月16日〜10月22日(#451〜#600)


吉本バカナです。酒と男と猫とパチに弱い、中くらいの大学を出てから転々としている素人エッセイスト。今日は、あの掲示板のざわめきを、数少ない恋愛経験にひきよせて、ちょっとだけ説教くさく(でも優しく)書きます。


まず、空気が変わったのはこの一言からだった。


「チェーンは好きじゃないが、オータはまあまあ🖐
まあ通常は何処も駄目だけどな🖐
ファンになるのは勝手だが、あまり迷惑かけるなよ🖐」 (#451)


“迷惑かけるなよ”って、恋愛でも最初に言いがちなやつだ。告白でも交際でもなく、まず「境界線」。境界線を先に引く人は、だいたい自分が傷つくのが怖い。で、案の定まわりは噛みつく。


「お前が迷惑だと気づいてない」(#452)


うん、恋でもよくある。相手の欠点はよく見えるのに、自分の声の大きさには気づけない。そこへ“肉トーク”が乱入して、議論は急に焼肉の等級へワープする。


「米沢、神戸、松坂亭全部同じ系列だ🖐」(#472)
「牛肉の最高ランク5Aなの知らねーだろw」(#482)


男女もパチも同じで、論点がズレると急に強気になれる。ほんとは寂しいだけなのに、等級や数値や“知ってる感”で鎧を着る。私も昔、好きな人に捨てられそうになった時、ワインの話でマウント取ろうとしてフラれた。味も心も、数値に逃げたら終わり。うまいのは“場の温度”です。

そして、このスレのいちばん大事な引用は、ここだと思う。


「稼げるのは仕事だから🖐
こんな嫌な事は仕事じゃ無きゃ絶対やらない🖐」(#581)


これは、ぐさっと来た。恋もパチも、楽しさだけで続けるとどこかで折れる。仕事にするなら“嫌さ”も抱える覚悟がいる。相手の機嫌、釘のムラ、設定の裏切り、季節の不調。ぜんぶ飲み込んで立つ。それが“仕事”。


でもね、その覚悟を口にするとき、人は少しだけ冷たく見える。だからこそ、もうひとつの言葉も忘れたくない。


「普通の生活が出来れば良い🖐
遊びならゲーセン行け🖐 05パチでもしてろ🖐」(#588)


ここ、叱っているようで、実は“線引きのすすめ”。等価ではない日常、割り切れない期待値、でも“普通”を取り戻すために賭けすぎない。恋なら、“既読スルー一回で心配しすぎない”。パチなら、“軍資金を生活費に侵食させない”。やさしく見えて、いちばん難しい。

掲示板には、毒も冗談もまざる。


「ブレストファイヤー🔥」(#558)
「包茎なのは確かだな🖐」(#597)
「真実を知った時必ず悲しみはやってくる」(#599)


ふざけと真面目が交互に来るのは、人が本当に孤独な時のリズムだ。私も夜のホールで単発を繰り返して、帰りに缶チューハイを買って、猫にだけは強がらないで泣いたことがある。翌朝、また“普通の生活”に戻るため、顔を洗って出勤した。設定6も永遠じゃないし、恋の高設定も朝イチだけのことが多い。だから、決めるのは“やめ時”と“続け時”。それだけ。


最後に、今日のまとめを、恋の言葉に言いかえるね。


  • 迷惑をかけるな、の前に、迷惑をかけ合える範囲を決めよう(#451)。

  • 等級で勝つより、場の温度で負けない(#472, #482)。

  • 仕事にするなら“嫌さ”も一緒に抱える(#581)。

  • 普通を守るために、遊びと仕事を混ぜない(#588)。


牛丼でも神戸亭でも、いまのあなたが払える額で食べればいい。恋もパチも、それで十分においしい。


——つづく。

次回は、「遊技場は遊びか、仕事か」論争(#591〜#597)を、もう少し丁寧にほぐしていきます。