渋谷マルハン、冬のシャドーボクシング



参照期間:2012/11/27 〜 2013/02/08(#363〜#515)
https://bakusai.com/thr_res/acode=3/ctgid=126/bid=1204/tid=1979928/p=10/tp=1/rw=1/


土日でも「ガラガラ」と嘆いたかと思えば、「稼働90%」と胸を張る人もいる。数字は曖昧、感情は先走り。冬のスレはそんな温度差で湯気が立つ。主役は相変わらず“常連たちの物語”。「7の日」に向けては、北斗だ慶次だガロだと看板台の名前が踊り、角台か中角かで小競り合い。勝ち筋は語られないのに、誰がどの台に座ったかだけは妙に詳しい。


その中心にいるのが“シャネル”の三文字。目撃、否定、また目撃。渋谷にいる、いや別の街だ、と応酬は続く。もはや台データよりも“在不在”がニュース。対する“丸帽”“ボブ”などの固有名も、勝敗というより「今日の所作」が話題になる。箱を盛る、夕方から来る、粘る、移動する——立ち回りは技術というより、ひとつの様式に近い。


読み進めるほど、実利は薄い。釘や回転の具体は煙のように流れ、代わりに残るのは人の体温だ。昼下がりの空席、リーマンタイムのざわめき、雪でも店へ向かう足取り。負けた悔しさも、ちいさな当たりの高揚も、言葉になりきらないままスレに落ちる。掲示板は、出玉の記録より、通った冬の気配を記憶している。次の「7」が来れば、また誰かが角台に座り、誰かがそれを見て書く。渋谷の夜は、その繰り返しでぬくもるのだ。

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渋谷マルハン、掲示板で暮れていく秋(2012/10/09〜11/26)

参照期間:2012年10月9日〜11月26日(#207〜#362)
https://bakusai.com/thr_res/acode=3/ctgid=126/bid=1204/tid=1979928/p=4/tp=1/rw=1/


この秋のスレは、とにかく“中身より温度”。釘はどう、回転はどう、遠隔だ何だと大騒ぎしつつ、実際の立ち回りは「回らないなら座らない」の一言に尽きるのに、みんなつい語りたくなる。店の空調から並びの予想、閉店間際の愚痴まで、渋谷の夜風みたいに軽くて速い会話が流れていきます。


登場人物もにぎやかです。伝説扱いの“シャネルさん”は、来る来ないで毎日ちょっとした事件。誰かが「見た」「いや大阪にいる」「今日は角台」と実況するたび、みんなの視線がガロの島に向く。常連の“丸帽”“ボブ”“マイケル”といった面々は、勝っても負けても様式美。結果より「今日はどこに陣取ったか」がニュースになります。こういう固有名は、勝ち負けの記録じゃなく、店の空気を覚えておくための目印みたいなものなんでしょう。


内容は正直、薄い。けれど、台間をすり抜けるタバコの匂い、千円札が吸い込まれる速さ、夕方になると突然ざわつくホールのリズム――そういう生活の細部が、軽口の向こうからにじみ出る。誰もが少しだけ負けて、少しだけ笑って、また明日を約束しないまま散っていく。掲示板は、その足跡を小さく残す場所でした。


結論めいたことはないけれど、読後に残るのは「また行くのかな、行かないのかな」という自分への問い。渋谷の真ん中で、台の光よりまぶしいのは、人の噂と、帰り道の夜でした。

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渋谷マルハン掲示板の虚無—罵倒と与太話に埋もれた二か月間


参照期間:2012年8月6日〜2012年10月8日(レス#101〜#204)

https://bakusai.com/thr_res/acode=3/ctgid=126/bid=1204/tid=1979928/p=4/tp=1/rw=1/


渋谷のマルハンパチンコタワーをめぐる掲示板の流れを眺めると、あまりに中身のないレスが積み重なっていることに、ただ呆れるしかない。#101から#204まで――2012年8月6日から10月8日までのほんの二か月足らずのやり取りで、情報らしい情報はほとんどない。


「クソガキ」「ストーカー」といった罵倒の応酬、実在かどうかも分からない“シャネル”という人物をめぐる与太話、さらには「弁護士」「探偵」を名乗るおかしな投稿まで混じって、まるで子どもの学級会の延長のようだ。そこにパチンコ台の挙動やイベント情報がわずかに差し挟まれるものの、主役は機械ではなく常連同士の悪口合戦だ。



匿名掲示板の軽さが、これほど虚無を生み出すのかと考えさせられる。結局、残るのは「誰かを笑った」「誰かを罵った」という痕跡ばかりで、肝心の遊技やホールの記録は吹き飛んでいる。これでは情報交換というより、ただの暇つぶしの悪循環に過ぎない。時代の熱気があったにせよ、残ったログの空虚さが強く印象に残る。

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渋谷のマルハンを懐かしむ—“7の日”に揺れた掲示板の記憶(2011–2012)


参照期間:2011年7月6日〜2012年8月5日(投稿時刻ベース)
https://bakusai.com/thr_res/acode=3/ctgid=126/bid=1204/tid=1979928/p=4/tp=1/rw=1/

渋谷のセンター街を抜けて、雑居ビルの影に“タワー”と名のつくホールがあった頃を、ふと思い出す。7の日が近づくと、掲示板には毎年のように期待と疑心が並び、対抗の「楽園」に流れるか、ここで腹を括るか――そんな駆け引きが小さな戦記みたいに積み上がっていく。2011年の書き込みには「去年は最低だった」「今日は出してるじゃねえか」と、熱に浮かされた舌打ちと歓喜が交互に刻まれていて、日付が変わるたびに“明日こそ”の祈りが更新されていた。


目につくのは、狭さや煙に対する苛立ちだ。分煙の議論が何度も蒸し返され、やがて「禁煙に舵を切れない業界の未来」を案じる長文が現れる。今から見れば先取りの嘆きだが、当時はまだ、タバコの煙も演出の一部のように諦めていた。もうひとつ、この時代の色を濃くするのが“遠隔”をめぐる言説だ。オカルトと確信の間を揺れ、技術の語彙を並べて憤る人もいれば、「釘が開いた台を打てば勝率は上がる」と現実に足をつける人もいる。陰謀と生活の体温が混ざり合うあたりに、匿名掲示板の“人間くささ”が滲む。


もちろん、目を背けたくなる過激な中傷や、違法行為を唆すような書き込みも少なくなかった。匿名の軽さが、良くも悪くも言葉を加速させる。けれどその奔流の中で、ごく短い実用の知恵――「リニューアルは待たされる」「イベント規制で告知は鈍る」「ちょっとハマったら引く」――が静かに生き残っていくのも、また事実だった。


“パチンコタワー”と呼ぶには小ぶりな建物だったが、あの階段を上り下りする足取りや、島を抜ける風の向きまで身体が覚えている。今はもう無くなって、渋谷の景色は磨かれたが、掲示板に残った言葉は少しも洗練されないまま、むしろ当時の空気をそのまま封じ込めている。勝った負けた、煙たいだ狭いだ、今日も明日も7の日だ――どれもささやかな日常の断片で、あの場所が確かにあったという証拠だ。たぶん、誰もがちょっとだけ若くて、少しだけ無謀だった。