福岡パチンコ・パチスロ回顧録② ~歌謡曲とモーニング、そしてバブルの匂い~

前回に続き、福岡の昔のパチンコ・パチスロ事情を振り返ります。今回は「店内の雰囲気」「バブル期の豪快さ」「機種と遊び方」「街の記憶」などを中心に。


 店内に流れる音楽と賑わい

昔のパチ屋は有線放送で歌謡曲が流れており、常連同士で鼻歌を口ずさむ光景すらありました。
軍艦マーチや煽りマイクのアナウンスも健在で、「○○番台、大当たり〜!」とホール全体が祝福ムードに。
今の無音に近いホールを思うと、まさに「熱気の象徴」だったと言えます。

 店員サービスとバブルの快さ

初当たりで1000ハマりすると、店長が羽根モノの釘をバカ開けして1000発分サービス。
負けすぎた客には閉店前に「島全体で遠隔当たり」を仕込むホールも存在(?)。
バブル期のパチ屋社員旅行は海外行きが当たり前で、ハワイ・オーストラリア・グアムなどタダで世界旅行できた時代。
いまでは考えられないほど、おおらかで豪快でした。

機種ラインナップと遊び方

現金機:マジカルチェイサー

一般電役:マジカルランプ

一発台:スーパービンゴ

羽根モノ:たぬ吉くん

スロ:リノ

さらに「ニューペガサスのモーニング」で小遣い稼ぎ、中洲のストリップ劇場近くで羽根モノを打ちながら嬢の出番を待つ、なんて遊び方も。
福岡独自の“日常にパチンコが溶け込んだ文化”がありました。


街とホールの記憶

井尻のナショナル会館、箱崎のタイガー、天神のマンハッタン…名前を聞くだけで当時の風景が蘇ります。

中洲・親不孝通りには、パチ屋・ディスコ・ストリップ・テレクラが密集し、夜ごと人の波が絶えませんでした。

夢見堂やボンナミといったホールは地元客の憩いの場であり、今も語り継がれる存在です。

正月とサービス


正月三が日は、ホール前に樽酒やみかん、甘酒が置かれ、客は飲み放題。
モーニング狙いのために眠くても毎朝早起きした常連の姿は、まさに昭和〜平成初期の風物詩でした。


 福岡ならではの裏話

「ペガサスWARPの島は怖い人で埋まっていた」

「ムサシ抜きを収録中にやって店員に見つかったライターBOSS」

「女性専用台を巡って、女客が命懸けで台取り戦争」

今のパチスロ動画や整然とした抽選入場からは考えられない、荒々しい熱気がありました。

まとめ

店内は歌謡曲と軍艦マーチで賑わい!
店員も客もおおらかでサービス精神旺盛

モーニングや裏モノで生活できるほど稼げる時代

福岡の街とパチ屋が一体となって遊び場を形成

振り返れば、勝ち負け以上に「街の文化」として楽しめたのが昔の福岡パチンコ。
令和のホールにはない“無法地帯の温かさ”が、そこには確かに存在していました。


前回の記事
昔のパチ屋は良かった?福岡県のパチンコ事情