別府市の専業パチプロ日記その2
およそ、この世に「秘密」ほど、その芳醇な香りを失うのが早いものはない。
大分は別府、湯煙が空を隠すこの街の片隅で、私は今日も軍資金という名の「命の断片」を握りしめ、パチスロ北斗の拳・転生2のシマに佇んでいる。かつて、このシマは静謐(せいひつ)な真剣勝負の場であった。二百五十あべしで捨てられた台を、拾うべきか退くべきか。そこには打ち手の矜持と、泥臭いまでの経験則が火花を散らしていたのである。
ところが、どうだ。今はもう、すべてが露(あらわ)である。 指先一つで、文明の利器という名の「X(旧ツイッター)」を覗けば、そこには無遠慮な攻略情報が、まるで安売りの叩き売りのように転がっている。おねぎなる御仁が「シャッターの煽りが何某(なにがし)のゾーンで来ればモードB以上」などと、神の領域を土足で踏み荒らすようなことを書き記せば、翌日には別府の全ホールから二百五十あべしの台が消え失せる。
げんぱち氏や、ヲ猿氏、あるいはアキ氏……。彼ら真の求道者が、なぜあえて口を噤(つぐ)んでいたか。それは彼らが「人間のモラル」という、目に見えぬ高貴な鎖に繋がれていたからに他ならない。情報を漏らさぬことは、すなわち、この遊技の寿命を守る「慈愛」であったのだ。
しかし、現代の若き表現者たちは、己の「インプレッション」という名の虚栄心のために、黄金の卵を産む鶏の腹を、躊躇いもなく裂いてみせる。なつめそうせき氏が「下振れれば数十万負ける」と警鐘を鳴らそうとも、一度(ひとたび)撒かれた毒は、もはや消えぬ。
ふと横を見れば、三百あべし近くで捨てられた「骸(むくろ)」のような台ばかり。旋風の用心棒氏が「こんな時代か」と嘆いたその溜息が、別府の硫黄の香りに混じって私の胸を突く。 知識は、時に残酷な凶器となる。何も知らぬ者が、希望を抱いて千二百あべしまで回していた、あの牧歌的な「負けの美学」は、もうどこにもないのだ。
私は、モードBを否定された冷たい液晶を眺め、そっと席を立つ。 鉄の塊に魂を削られるよりは、いっそ地獄の釜のような温泉に身を沈め、この「情報の汚濁」を洗い流してしまいたい。
……ああ、恥の多い稼働を、私は送って参りました。
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