髑髏(ドクロ)のタトゥの女
福岡市の夜を思い返すと、2001年という時代はまだ煙草の煙とインカムのざらついた音がホールを支配していた。ネオンは青白く滲み、博多駅前から天神にかけて、店の看板が互いに明滅を競い合っていた。そこは未来都市にも見えたし、過去の幻影にも見えた。サイバーパンク的な陰翳が、あの街には確かにあったのだ。
噂の中心にいたのは、「髑髏(ドクロ)のタトゥの女」と呼ばれる専業だった。背中に大きなスカルを刻んだその女は、誰よりも早く抽選機の前に立ち、引き当てた番号でその日の戦況を左右した。彼女の狙う台に座ることは、それだけで挑戦状を叩きつけるのと同じ意味を持った。店内の蛍光灯の下で、無言の視線が交錯し、回転するリールが戦鼓のように響く。
当時の福岡は、軍団同士の衝突が日常の風景だった。玉屋、つかさ、メガフェイス――名前を挙げればきりがないが、どこのホールでも影の組織が暗躍し、取り巻きや打ち子が入り乱れた。わずかな設定差や、リセットの傾向をめぐって、ホールの中は情報戦と心理戦の渦と化した。ある軍団のリーダーは博多の夜に姿を消し、別の組は中洲の川沿いで分裂したとさえ言われる。
髑髏のタトゥの女は、そんな抗争のただ中で異彩を放った。噂では、彼女はもともと地下のマーシャルアーツ道場に身を置き、技と胆力を磨いたという。抽選番号を巡る小競り合いも、彼女が一歩踏み込めば誰も近づけなかった。軍団のリーダー格でさえ、彼女の眼光に射抜かれると声を失ったという。
やがて2001年の福岡の街は、規制の波と経済の陰りに押され、ホールの数を減らしていった。しかし、髑髏のタトゥの女の伝説は、いまも語り継がれている。焼き鳥の煙が漂う屋台街で、あるいは中洲のバーの片隅で、誰かが低い声で囁く。「あの人の台取りは、未来を予言するかのようだった」と。
福岡市という街は、ネオンと闇が同じ速度で流れる場所だった。その渦中で、パチンコとパチスロは単なる遊技ではなく、生き延びるためのゲームであり、都市の血流そのものでもあった。
爆サイにある福岡市博多区のパチンコ店
福岡市でハイエナ専業を続けるために
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿
コメお願いします