仙台ハンチング考 — 専業の帽子について

仙台のホールを歩いていると、ときどき見かける。ハンチング帽を深くかぶった男。無口で、打っているのか考えているのか分からない。だが、その帽子にはひとつの哲学がある。


ハンチング帽とは本来、ハンター――狩人が被るためのものだ。風の抵抗を減らし、視界を確保するための実用的な形。けれど今、その帽子をかぶっているのはスロット台の前に座る“都市のハンター”たちだ。彼らは銃の代わりにカチカチくんを持ち、野山の代わりにホールを歩く。獲物はシカではなく、設定6。


パチプロという生き物は、待つことを知っている。チャンスが来るまで息をひそめ、ホールを観察し、わずかな挙動の違いを見逃さない。そしてその瞬間が訪れたとき、静かに台に座る。その動作には、どこか獲物に照準を合わせる狩人のような緊張がある。


なぜ彼らがハンチング帽を選ぶのか。その理由は、きっと無意識のうちに「狩りの血」が流れているからだ。彼らは日常の中で獲物を探す。静かに、冷静に、だが確実に。


ホールのざわめきの中で、ひとり黙って台を見つめるハンチングの男。あの帽子の下には、数字の流れを読む目と、長年の経験で磨かれた直感が隠れている。彼らは今日も、静かな狩場でチャンスの瞬間を待っているのだ。




仙台ハンチング考 ― 爆サイの狩人たち

仙台の掲示板を覗くと、「ハンチング」という言葉が妙に頻繁に現れる。まるで固有名詞のように、あるいは伝説のハンターの名のように。その書き込み数、実に四千件を超えるというから驚きだ。

「ハンチングがはまってるのを見て吹いた」「ハンチングは今日もモンキーターン」「ハンチング徘徊スタンバイ」――そんな断片的な声が、爆サイのスレッドに点々と残っている。人々は笑い、揶揄し、時に妙な敬意を込めてその名を呼ぶ。


けれど僕には思うところがある。

ハンチングとはもともと「ハンターの帽子」だ。獲物を狙う者が風を避け、目を守るためにかぶる。つまり、狩りのための道具。パチンコ・パチスロの世界でこの帽子をかぶるというのは、ある種の象徴だと思う。ホールというジャングルを歩き、台の挙動を読み、チャンスが来るまで息をひそめる。台を押さえるその瞬間、彼はまさしく“狩人”になる。


掲示板では揶揄されようとも、ハンチング帽の下にあるのは静かな誇りなのかもしれない。彼らはただ「獲物」を探しているだけなのだ。勝ち負けを超えて、期待値という名の小さな光を追い続けている。

笑いの的にされるのも、ある意味で“目立つ存在”である証拠だ。誰にも気づかれずに獲物を仕留めるハンターもいれば、群衆の中で煙たがられながらも立ち回るハンターもいる。


仙台の街に今日もまた、ハンチングを被った男が現れる。
誰かがまた掲示板に書くだろう。「ハンチング、今日も朝からモンキー」。だが彼は構わない。ハンターに必要なのは人気ではなく、狩りの技術と、待つ勇気だけなのだ。